とよす公式オンラインショップ

おかげさまで創業115周年!明治35年の創業からの歴史をご紹介します。

とよすあられは明治35年(1902年)、豊洲卯三郎によって大阪・阿波座の町工場から第一歩を踏み出しました。

そしておかげさまで今年、創業115周年をむかえることができました。

115年の軌跡を追ってまいります。

1902年

現在のとよすあられにつながる初代、豊洲卯三郎は大阪府豊中のお庄屋に生まれました。(慶応3年)
流行り病で次々と家族を失った卯三郎は故郷を捨てて大阪の街へ。(明治23〜34年)
その後、四十歳で餅屋、樋口商店とのご縁をいただき、改心して大阪市阿波座であられ加工業として独立しました。

明治35年、いまから115年前
とよすあられの創業です。

※写真は明治時代の阿波堀橋

1910年創業

卯三郎・六郎のあられ・おかき工場のあった周辺 九条新道商店街

1920年

「朝は毎日五時に起き、一時間半ほどかかって炭火をおこし、釜へ移してあられを焼く準備をいたします。それから学校へ行き、帰ってくるとすぐ、あられ生地の干し場に上がって、一枚干し、バラ干しの手伝いです。」(大正14年)
あられ工房を営んでいた親戚筋の豊洲卯三郎のもとに養子に入り、後に家業を継いで会社を興した豊洲六郎の回顧録には、このように記されていました。

1930年

豊洲六郎が生地製造販売として独立。
九条通3丁目に100坪余りの倉庫付貸家を借り生地工場を建てました。
当時、大阪のあられ屋70軒のうち20軒は製餅設備を持っていましたが、あとの50軒は3社から生地を買っており、その3社に六郎が割り込んでいった形でした。
生地屋の商号はまだ「樋口」としていました。(昭和8年)

※右は当時の新聞広告

1940年

大東亜戦争のための企業整備にともない、豊洲六郎は東亜食品有限会社を設立しましたが、製造機械は政府に買い上げられます。
家族を伴い六郎の生まれ故郷の池田市へ移住。(昭和17年)

1950年

豊洲六郎は「自分達の作るおいしいあられを、お客様にとよすと分って食べてもらいたい」という思いで、当時最新のショッピングモール、なんば地下街に「とよすあられ」初の直営店を出店しました。(昭和32年)
作ったその手でお客様にお渡しする道を通すことがかないました。

とよす営業車(昭和30年)

1960年

ハイサラダ発売(昭和38年)

「流行の洋食のようなハイカラな味付けにしてはどうか」
「ひなあられをもっと子供たちに喜んでもらいたい」
「おかきの品質としつらえを上げ贈答品をつくれないか」
「モチ米の美味しさをそのままおかきにつくれないか」
「焼き立ての風味をお届けするために何ができるか」
直営店でお客様にじかに接することで、お客様のご要望がどんどん見え、商品開発につながりました。

池田市住吉に本社工場
(昭和39年)

梅田地下センター店(昭和42年)

チョコの入ったひなあられを詰めた紙のひな人形を幼稚園へ直販開始(昭和43年)

1970年

「タッチポン」
業界初の紙缶パッケージで発売
(昭和47年)

1980年

大高猛氏による美しいギフトアソート
(昭和55年)

1990年

8種類のひとくち大のあられを1袋にアソートした 「お八つ」新発売(平成5年)
豊洲俊子社長(当時)は「この形態はあられメーカーにとって『栗まんじゅう』的存在(必須の定番アイテム)になる」と予言。

2000年

米菓のバレンタイン提案(平成17年)

ハイサラダ復活(平成19年)

進化系革新の創作米菓「十火JUKKA」が東京でスタート(平成21年)

2010年

日本初の柿の種専門店「かきたねキッチン」
が大阪からスタート(平成24年)

かきたねキッチンからサンリオコラボ商品発売
(平成29年)

大阪名物ハイサラダ(平成29年)

十火JUKKAと旭酒造の獺祭コラボ商品発売
(平成28年)

2017年

115周年記念感謝商品

「かきたねご当地アソート」

普段からお客様のご要望の多かった、「手に入らないご当地の味を食べてみたい!」にこたえて作ったアソートです。
「美味しいあられ・おかきでお客様に喜んでいただきたい」という思いを形にしました。

※当商品の販売は終了いたしました。